環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)の伊藤信太郎さん。
伊藤信太郎さんといえば、父親が”東北のケネディ”と呼ばれた偉大な政治家の伊藤宗一郎さんということが有名です。
伊藤信太郎さんの父・宗一郎さんはどのような経歴や学歴などをお持ちなのかが気になりますね!
また、どのような家族構成をされていて、結婚した妻(伊藤信太郎の母親)についても詳しく調べてみました。
この記事ではこんなことがわかります
- 伊藤信太郎の父親の経歴
- 伊藤信太郎の父親の学歴
- 伊藤信太郎の父親の家族構成
伊藤信太郎の父親は伊藤宗一郎!
伊藤信太郎さんの父親は伊藤宗一郎さんです。
名前 | 伊藤宗一郎(いとうそういちろう) |
生年月日/没年月日 | 1924年3月1日-2001年9月4日(77歳没) |
出身地 | 宮城県加美町 |
所属政党 | 自由民主党 |
家族構成 | 父・宗太郎 母・とき 妻・伊藤つや子 長男・伊藤信太郎 |
最終学歴 | 東北大学法学部 |
伊藤信太郎さんと父親の宗一郎さんは、面長の顔がよく似ているといわれています。
伊藤信太郎の父親の経歴は元陸軍少尉!
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんの経歴は大きく分けるとこちらの3つです。
- 陸軍少尉
- 讀賣新聞の記者
- 衆議院議員
陸軍少尉時代
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんは高校生の頃に太平洋戦争が勃発。
大学生時代には1年間軍務についた経験を持っています。
階級は陸軍少尉で、正八位に叙せられました。
高校在学中に太平洋戦争が勃発、大学在学中には1年間軍務に就いて陸軍少尉に任官されていた
讀賣新聞の記者時代
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんは大学卒業後、政治家になるために讀賣新聞に入社し、政治部記者に配属されます。
1956年の32歳の時に、第1回日ソ漁業交渉の報道特派員として農林水産大臣・河野一郎(当時)に同行。
約1カ月のモスクワ滞在で政治家になる決意を改めて心に誓ったと語っています。
衆議院議員
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんは1960年の36歳で衆議院議員選挙に旧宮城1区から立候補します。
自らを「東北のケネディ」と名乗って衆議院議員に初当選し、その後通算13回当選しました。
1966年、42歳の頃の伊藤宗一郎さん
衆議院当選後、伊藤信太郎さんの父・宗一郎さんは様々な要職を歴任されています。
伊藤宗一郎の衆議院議員の役職経歴
- 1960年:衆議院議員選挙に立候補し、初当選
- 1971年:農林政務次官(第3次佐藤改造内閣)に就任
- 1972年:科学技術政務次官(第2次田中角栄内閣)に就任
- 1976年:衆議院逓信委員長に就任
- 1981年:防衛庁長官(鈴木善幸改造内閣)に就任
- 1987年:科学技術庁長官(竹下登内閣)に就任
- 1996年:第69代衆議院議長に就任(~2000年6月2日)
伊藤宗一郎さんは約3年半にわたって務めた衆院議長職で、誠実な人柄から「議会運営を公正に貫く」としていました。
そのため、与野党双方から高く評価されていた人物でもあります。
伊藤信太郎の父親の学歴は東北大学法学部
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんの学歴はこちらです。
- 中学校:旧制古川中学校
- 高校:旧制第二高校
- 大学:東北大学法学部
中学校:旧制古川中学校
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんの出身中学は、宮城県大崎市にある旧制古川中学校です。
旧制古川中学校は現在は古川高校になっています。
古川中学校
創立:1897年
住所:宮城県大崎市古川南町2丁目3−17
伊藤信太郎さんの父親の幼少期は今と違い、中学校に通うのは優秀な生徒や裕福な家庭の生徒に限られていました。
伊藤信太郎さんの実家は当時呉服屋を営んでいたので、財力があったこと、そして伊藤信太郎さんの父親が学業優秀であったために進学できたのでしょう。
高校:旧制第二高校
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんの出身高校は、宮城県仙台市にあった旧制第二高校です。
旧制高校とは1886年の”中学校令”によって国内に5つ設置された高校のことで、東北地方には宮城県仙台市に旧制第二高校が置かれました。(全国で4番目)
旧制第二高校は、戦後の1950年に東北大学に包括される形で廃校に。
東北大学の第一教養部の基礎になったといわれています。
伊藤信太郎さんの父親・宗一郎さんは、ちょうど高校に入学した昭和16年に太平洋戦争が勃発しました。
旧制第二高校の著名な卒業生
- 豊田喜一郎 – トヨタ自動車創立者
- 稲山嘉寛 – 経団連会長、新日本製鐵会長
- 柴田清 – 日本麦酒(現・サッポロビール)初代社長
- 阿部眞之助 – 日本放送協会会長 など
大学:東北大学法学部
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんの出身大学は、東北大学法学部です。
- 住所:〒980-8577 宮城県仙台市青葉区片平2丁目1−1
- 創立:1907年
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんは東北大学法学部へと進学します。
現在の東北大学法学部の偏差値は62.5。
東北大学の文系学部ではトップの偏差値を誇ります。
伊藤信太郎さんの父親・伊藤宗一郎さんは太平洋戦争中に大学に在籍します。
伊藤宗一郎さんは約1年間陸軍少尉として軍務についた経験もあり、当時は同級生を戦争で失うという辛い経験をされたこともあったそうです。
伊藤信太郎の父親の家族構成
伊藤信太郎さんの父親(宗一郎さん)の家族構成は、父親は宗太郎さん、母親はときさん、妻はつや子さんということがわかっています。
父親:宗太郎さん
伊藤信太郎さんの父親(宗一郎さん)の家族で、父親は伊藤宗太郎さんといいます。
宗太郎さんは伊藤信太郎さんの祖父です。
伊藤宗太郎さんは宮城県加美町で呉服屋を営んでいたため、伊藤信太郎さんの父親は裕福な家庭で育ったことがわかります。
母親:ときさん
伊藤信太郎さんの父親(宗一郎さん)の家族で、母親はときさんといいます。
ときさんは伊藤信太郎さんの祖母です。
伊藤信太郎さんの父(宗一郎さん)は学生時代に太平洋戦争を経験し、その後は昭和恐慌、冷害の影響と厳しい状況が長く続きました。
そんな時に母親のときさんは「名もなき民の心を大切にしなさい」と宗一郎さんに教えたそうです。
この時の母親の言葉が、後に伊藤宗一郎さんが政治家を目指すきっかけになったのではないかと言われています。
先生は、こうした時代に御母堂様より、「名もなき民の心」を大切にすることを教えられたのであります。このことが、平和を守り、名もなき庶民の生活を守るために、先生をして政治家を志させたものと思います。
妻:つや子さん
伊藤信太郎さんの父親(宗一郎さん)の家族で、妻は伊藤つや子さんという方です。
伊藤信太郎さんの父(宗一郎さん)と妻のつや子さんの馴れ初めはわかっていません。
伊藤信太郎さんは父親が29歳の時に生まれているので、経歴を見てみると、読売新聞の記者時代に妻と出会っている可能性が考えられます。
もしかしたら妻は讀賣新聞時代の同僚、もしくは昭和の時代なのでお見合い結婚だったのかもしれませんね。
【まとめ】伊藤信太郎の父親は伊藤宗一郎!経歴は元陸軍少尉で新聞記者から衆議院議長に!
今回は「伊藤信太郎の父親は伊藤宗一郎!元陸軍少尉で新聞記者から衆議院議長に!」と題してお送りしました。
- 伊藤信太郎の父親は伊藤宗一郎さん
- 伊藤宗一郎さんは、元陸軍少尉・讀賣新聞記者・衆議院議の3つの経歴を持っている
- 伊藤宗一郎さんの家族構成はこちら
・父親:宗太郎さん
・母親:ときさん
・妻:つや子さん(存命)
伊藤信太郎環境大臣の父親は、「東北のケネディ」と呼ばれた有名な政治家の伊藤宗一郎さんということがわかりました。
元陸軍少尉・讀賣新聞記者・衆議院議という異色の経歴を持ったすごい人物だったんですね!